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学校卒業後は準高冷地野菜専業農家として大根などを作っていました。
既に乗用トラクターなどはあり、鍬(くわ)で畑を耕していた訳ではありません。
仕事柄、夏は休みが余りなく海水浴は22歳から13年間行きませんでした。
でも、冬はスキースクール勤務でした。
途中から自営業も兼業となりました。
ある日、書店で手に取った秋元康氏の本が少し面白くて、それをきっかけに作詞などをたまに習いました。
秋元康氏の生の講義も受講しました。
しかし、結局は楽曲ができてもデモテープ(最近はテープは少ない)はパソコンも使わなければまともなレベルには仕上がりません。
なので、一時的でもパソコンに集中しなければ完成しません。
するとある日、カシオトーンを使用中に吐き気を自覚しました。
「これはおかしい!(変だ)」と思い、色々調べたり試行錯誤を重ねました。
それ以前から、既に私は広瀬隆氏の著書「東京に原発を!」などから原子力発電の危険性を把握していました。
そして、それをきっかけにWWFジャパンなどの
複数の環境団体等に加入して多岐にわたる環境問題についての情報を毎月あちこちから得たりしていました。
その結果、パソコンやケータイなどは健康被害などの大きな原因である事は1998年頃にはわかっていました。
しかし、それを地元議会などで訴え掛けても人々の反応はまったくという程冷たいものでした。
音楽活動に関しては、脱原発など環境問題をテーマにした楽曲を広めようという志向で、それを達成するまでは「音楽は絶対にやめないぞ」と思っていました。
しかし、福島であれだけ大きな原発事故が起きた後でも音楽業界に脱原発の盛り上がりが起こらず、有名アーティストがほとんど脱原発を歌わない現実に私は愕然としました。
何よりも、爆発しても原発を推進する政府には怒りでいっぱいです。
音楽に関しても、CDに代わって配信が増えた以外にも、動画サイトで有名アーティストが楽曲を丸ごと流してしまう時代になってきてしまい、それをアマチュアがやっても全然収入になりません。
そんな訳で音楽をやめました。
それは自分としては残念な現実でした。
その後、近年になってデジタルデトックスが言われるようになり、自分の体験や知識を役立ててもらう機会も増えました。
家庭菜園程度で無農薬無化学肥料栽培での野菜作りもしています。
(※ 尚、その後に秋元康氏を有害人物と断定せざるを得なくなりました。)
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